このコラムでは、実際に私が経験した、騒音測定に係る印象的な出来事についてお話したいと思います。
少し前のお話になりますが、ある依頼がありました。
「常にドン・ドン・ドンと太鼓をたたくような音がする」
先ずは現地の状況を見て、測定できるか判断して欲しい、という事でしたので、
翌日、測定機材をもってお伺いしました。
問い合わせを頂いたのは、かなりご高齢の女性の方でした。
早速、状況を伺いながら現地の確認を始めました。
そこは、賑やかな通りから少し外れた静かな住宅街の一軒家でした。
室内はとても静かで、空気清浄機の音と、冷蔵庫の運転音だけが響いています。
外からの音もほとんど聞こえず、耳をすませば遠くの道路騒音がわずかに聞こえる程度でした。
その時、お客様がこう言われました。
「この音がいつも響いていて……」
私は聴覚に意識を集中しましたが、
その音が何を指しているのか、どうしても分かりません。
「どんな音ですか?」と伺うと、
「聞こえないの? ドン・ドン・ドンって、太鼓を叩く音」
しかし、私にはその音がまったく聞こえません。
ここで考えられる可能性は、2つありました。
・低周波音の存在
・お客様ご自身の体調による可能性
先ずは低周波音を疑いました。
低周波音は耳では聞こえにくい音で、感じ方は個人差が大きいと言われています。
私には感じ取れていないだけの可能性があります。
早速実時間分析器で周波数の確認を行いました。
しかし、特異な周波数成分は見られず、
お役様の訴えるリズミカルな反応も確認できません。

そこで次に考えたのが、室内の負圧による影響です。
換気扇など強制排気を行っている室内は、負圧状態となります。
特に高気密住宅の場合は、高負圧状態となる場合がり、気圧による体調変化を感じやすい人にとっては、
気性痛と同じような症状がみられる恐れがあります。
そこで、窓の開閉、機器のオンオフなど、様々な条件を試しましたが、
聴感上も計器上も変化はありませんでした。
気密性の高い住宅では、強制排気により室内が負圧状態となり、
ファンの運転条件が変わることで圧力脈動が発生し、低周波音が出ることがあります。
しかし、ファンの圧力脈動による周波数特性には明らかな特徴があるものですが、
周波数特性からも、それに該当する兆候は見られませんでした。
ここまで確認した結果、
騒音の観点から残る可能性は、お客様ご自身の体調によるもの でした。
私はお客様ご自身の体調によるものかもしれない事をお伝えしました。
これは、ただお話を聞いて、そう思ったからではありません。
お話を聞いて、いろいろ調べた結果、技術的な観点から考えると、
残された可能性として「お客様ご自身の体調の可能性」と言う結果になった、という事です。
私は騒音測定業者でありますので、騒音計や実時間分析器で分からない事象は、調べる事が出来ません。
ましてや体調となると、専門医に相談するべき案件です。
お客様がそのような音を感じたのは、半年ほど前からだとおっしゃっていました。
もし、その音が体調によるものだとしたら、なるべく早く診断を受けた方が良いはずです。
私は時間をかけて、具体的な測定結果を示しながら、
どうして体調が原因であるかの説明をしました。
しかし、お客様ご自身は、納得いかない様子です。
そこで私はこうお伝えしました。
「測定は可能です。ただし、ここからは費用が発生します。
ですが、現状の状況では、測定しても結果が出ない可能性が高いです。
その場合でも、納得いただけますか?」
お客様は少し考え、こう言われました。
「納得できる自信がない」
であれば、まずは病院で診察を受けて、
それでも原因が分からなければ、その時に測定を行いましょう。
もう状況は確認できましたので、次はしっかり準備して測定に伺います。
ですが、もし体調であれば、早い方が良いので、
なるべく早く病院に言って、今回の状況をお伝えください。
そうお伝えしたところ、やっとご納得いただけたようでしたので、
その日は測定を行わずに帰りました。
後日、気になってお電話をしました。
ホームの集まりの最中だったのか、とても楽しそうな声で、
あれから病院に行った事、いま色々検査をしている事、
そして最近は音があまりしなくなったことを話してくださいました。
測定業者としては、何もできなかった案件です。
ですが結果としては、いつも以上に意味のある出来事だったと思っています。
この案件の特徴は、
・ご高齢の一人暮らし
・周囲に理解者がいなかった
区役所や測定業者などに相談しても「音が無い」とだけ言われ続けた結果、
独りで長い間、理由の分からない音に苦しまれていました。
確かに、話を聞くだけでそう判断する事は出来ます。
しかし、音の感じ方は人それぞれです。
自分に聞こえないから音は無い、と断言するのは、
騒音に携わる者であるなら、少々乱暴な考え方だと思ってしまいます。
騒音苦情者の言葉には、
理解され難い事を一生懸命伝えようとするあまり、
多少の誇張が含まれているかもしれません。
でも、その言葉の裏には、
苦しみを相手に伝えたい、という気持ちが込められています。
その気持ちを汲み取り、
では、どのようにしたらその音を測定できるのか、
伝えたい思いを「見える化」できるのかを考えます。
「人の言葉は信じない。信じるのはデータだけ。」
データは真実であり、
その真実たるデータを、真実である根拠として測定する事が、
測定者の務めだと思っています。
時には、この案件のように、
「音が無い」事を真実として伝えなければならない事もあります。
ですが今回の場合は、結果として、
通院のきっかけになりました。
もし、もっと早く、誰かが科学的・技術的な観点から
「音が発生していない」という説明をしてあげられていれば、
ここまで長く苦しまれることは無かったのかもしれません。
騒音測定とは、音を測るだけではなく、
音が無いことを証明することも重要な役割なのだと、
強く心に残った出来事でした。