「静けさ」や「静寂」という言葉で、どのような場所をイメージしますか?
身近な場所では図書館や映画館、美術館なども、静かな空間として思いつきますが、「静けさ」や「静寂」とは違う気がします。 どちらかというと、夜の海、山間の湖畔、深い森の奥、夜の海など、人の少ない自然豊かな場所を想像します。
私たちの身の回り、特に東京都周辺では、この様な場所を探すのは難しいですが、生活圏内で現実的な場所で考えると、海沿いであれば葉山、湖畔であれば芦ノ湖畔、森の中であれば箱根強羅などは、イメージとして「静けさ」や「静寂」に近いのではないでしょうか。
私はこれまで何度か、これらの場所で騒音測定を行った事があります。
測定の目的は、都内に多くのマンションやホテルを所有するオーナー様からのご依頼で、リゾートマンションやリゾートホテルの遮音設計のご依頼を頂くからです。 遮音設計を行うには、先ずは現地の騒音調査を行わなければなりません。 現状を知って、目標とする室内騒音値を達成するためには、各外壁部材にどの程度の遮音性能が必要なのか検討しなければなりません。
そんな静かな場所に遮音設計など必要あるのか、と思ってしまいますよね。 私も最初はそう思いました。 しかし、実際の自然の中の音の大きさは、思ってた以上に大きなものでした。
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葉山(海沿)の環境音

葉山の海沿いで24時間連続測定した結果です。 時期は5月頃で、海水浴シーズンにはまだ早く、散歩する人がちらほら見られたものの、海で遊ぶ人はほとんどいませんでした。
測定は環境基準の評価方法に準拠し、1時間毎に正時より30分間の実測を、連続して24回行っています。 評価方法に従い等価騒音レベル(LAeq)を見ていきますと、深夜2時台と3時だいで 45dB 程度になりますが、それ以外の時間はほぼ 50dB を上回っており、日中の夕方付近では 55dB 程度となっています。 このように高いレベルとなった理由は波の音のです。 夕方ごろに波が高くなり、その音が風に乗って聞こえてきました。 最大値(LA.max)のレベルが高くなっているのは、鳥の鳴き声があるためです。 本来であれば鳥の鳴き声などは環境基準の評価対象外となるのですが、今回の測定の目的が自然の音を対象とした遮音設計でしたので、鳥の鳴き声を含めた全ての音を対象としています。 この程度のレベルであれば、遮音設計上の問題点は少ないのですが、季節によっては更に波が高くなる恐れが考えられます。 慣れない人にとっては「波の音がうるさくて眠れなかった」などとならないように注意が必要です。

芦ノ湖畔の環境音

芦ノ湖畔でも葉山と同様の測定を行いました。 時期はやはり5月頃で、小雨の降る山の中は肌寒く、土日の測定であったにもかかわらず、人の姿は殆どありませんでした。
日中の殆どが 55dB を超えていますが、原因は鳥の鳴き声です。 周辺から様々な種類の鳥の鳴き声が聞こえていて、まるで鳥の楽園といった感じでした。 小鳥の鳴き声といえど、一斉に鳴くとかなりの音量になります。 レベルだけで言えば環境確保条例の第3種区域(商業・工業地域)の基準値を超えてしまっています。 つまり、レベルの大きさだけで判断するなら、相当うるさい環境だといえます。
しかしながら、実際に現地にいると、鳥の鳴き声は騒々しくはありますが、イヤな騒々しさではありません。 澄んだ空気ときれいな景色も相まって、とても気持ちの良い測定でした。
ちなみに、深夜23時と0時台でレベルが上昇しているのは、遠くから聞こえる自動車の排気音です。 走りやすい夜の道は、運転好きの人たちにとって、格好のドライブコースなのでしょう。 小雨が無ければもっと聞こえてくる可能性が考えられます。 関東周辺のリゾート地の、騒音環境の特徴と言えるのかもしれません。

箱根強羅の環境音

箱根強羅の中心より少し離れた、あたりを見通す事が出来る高台で、環境音の測定を行いました。 時期は4月中旬の週末で、セミなどの虫の鳴き声もなく、山中としては静かな時期だと思います。
箱根強羅は交通量の多い道路から少し離れた位置にあり、散策している分には非常に静かと感じますが、見通しの良い場所や、建物の高い階層では、遠方からの伝搬音の影響が支配的な音環境となります。 ところどころレベルが上昇してるのは、自動車の排気音の影響です。 芦ノ湖周辺と同様に、こういった山中の道路では、時折スポーツカーやバイクのような、大きな排気音が響いてきます。

南麻布の環境音

ここまでは、「静けさ」や「静寂」の代表として、自然の音の測定事例をご紹介してきましたが、その対比として、都心の住宅街の環境音をご紹介します。 場所は東京の中心ともいえる南麻布です。
南麻布と言えば、日本でも屈指の高級住宅街ですが、周辺には六本木や麻布などの繁華街も近いことから、非常に騒々しい環境を想像してしまいますが、実際に測定を行ってみると、驚くほど静かな事が分かります。 日中でも 55dB を上回る事は無く、特に深夜では 40dB を下回っています。 これは室内ではありません、外部の環境音なのです。

環境音の比較
ここまでご紹介してきた環境音の測定事例から、等価騒音レベル(LAeq)を比較してみました。

- 葉山の海沿い
- 箱根強羅の高台
- 芦ノ湖畔
- 南麻布の住宅街
騒音レベルだけを比較すると、一番レベルが低かったのは南麻布の住宅街でした。 測定した時期にもよると思いますが、自然の中で測定した事例は、どれもシーズンオフの静かな時期で、騒々しい虫の鳴き声もありません。 それでも南麻布の夜の静けさは圧倒的で、自然の中の環境音よりも 5dB 以上、箱根強羅の高台との比較では 10dB 以上も差が開いてしまいました。
この結果が、リゾートマンションやリゾートホテルにおいても、遮音設計が必要とされている理由です。
まとめ
今回は「静けさ」や「静寂」について、騒音レベルの測定事例を基に考察しました。
音の大きさだけを見れば、南麻布の住宅街は際立って騒音レベルが低いという結果でした。 しかし、この環境から受ける印象は、心地よい「静寂」とは少し異なり、むしろ「閑静」という言葉がしっくりきます。 それは人や動物の気配が希薄な静けさ、と言い換えることもできるかもしれません。 シーンと静まり返った環境では、自身の足音のような僅かな物音さえも大きく響き、かえって「うるさい」と感じてしまうことさえあります。
一方、自然に目を向けると、鳥のさえずりや川のせせらぎなど、音のレベル自体は決して低くありません。 ある意味では「騒々しい」とさえ言えるその環境を、私たちは全く不快に感じず、むしろ安心感を覚えます。 逆に、自然の中で生命の音が全くしない完全な無音状態を想像すると、どこか不気味ですらあります。
騒音レベルが高いにもかかわらず「心地よい静けさ」を感じ、レベルが低いのに「気になるうるささ」を感じる。 この一見不思議に思える感覚は、音の評価の難しさを示唆しています。 事実、騒音に関する苦情が非常に静かな環境でこそ発生しやすいという側面を考えると、物理的な音の大きさ(レベル)だけで音環境の質を判断するのは難しい、ということがよくわかります。