これまで様々な騒音トラブルに係る測定を行ってきましたが、そのほとんどは、裁判や調停を見据えた証拠資料としての測定です。そのため、これまで数多くの裁判を見てきました。
現在も裁判中の案件がいくつかありますが、その過程で、意見書や技術解説資料の作成を求められることがあります。
これらの資料を作成する場合、準備書面などの裁判資料の確認や、弁護士からの現状の説明を伺うことがあるのですが、裁判の実態を知れば知るほど、首をかしげたくなるような場面に出会う機会が増えてきました。
今回は、そんな、騒音トラブルに係る裁判の中で、いったいどんな不思議な議論がされているか、騒音の専門家である環境計量士の立場で、実際に見聞きした内容の一部をお話したいと思います。
1.騒音トラブルの裁判では何が議論されているのか
隣室や上階から発生する衝撃音がトラブルの原因の場合、測定するべきは、まずその衝撃音の大きさです。もちろん、発生頻度や時間帯も重要ですが、裁判では、その音が受忍限度を超えるものなのかという点が議論されることが多く、その判断材料として、実際にどの程度の大きさの衝撃音が発生しているのかは重要な要素になります。
そのため、私たち測定業者としては、まず議論すべきなのは衝撃音の最大値であると考えます。
ところが、実際の裁判では、衝撃音を環境騒音全般の中の一つの音に過ぎないとして議論されることがあります。たとえば、その音の最大値ではなく、変動する騒音レベルの時間率の90%レンジの上端値(L5)や中央値(L50)、等価騒音レベル(LAeq)などを用いて評価し、さらにそれを環境基準と比較して、「基準値以下だから受忍限度を超えていない」「騒音と呼べるものではない」といった議論が行われてる資料を見てきました。
ここまでくると、騒音測定に携わる者としては、何を評価しているのか分からなくなります。
確かに、環境基準の評価方法には等価騒音レベル(LAeq)が用いられていますし、過去には中央値(L50)で評価されていた時期もあります。また、騒音規制法や各都道府県の条例では、変動する騒音について90%レンジ上端値(L5)を用いる場合もあります。
ですから、L5やL50、LAeqという指標そのものが間違っているわけではありません。
問題は、騒音被害者が訴えている苦情内容が何か、そしてそれを評価するための指標は何かという事です。
時間率の90%レンジの上端値(L5)や中央値(L50)などは、一定時間内に変動する騒音レベルの分布を統計的に表すものであり、単発的に発生する衝撃音を除外するという特徴がある指標です。
LAeqについても、衝撃音の影響は数値に反映されますが、一定時間に発生した騒音の音響エネルギーを平均した値です。したがって、単発的な衝撃音も評価に含まれるものの、平均化して均してしまうため、衝撃音の大きさの程度を示すことはできません。
それにもかかわらず、「上階からドンという大きな衝撃音が繰り返し発生している」という問題について、衝撃音の最大値を見ずに、LAeqやL5、L50だけを取り出して「値が低いから問題はない」と議論されることがあります。
さらに、その値を本来その騒音を評価するためのものではない環境基準と比較し、「環境基準を下回っているから受忍限度以下である」「したがって騒音は存在しない」と話が進んでしまうことさえあります。
つまり、衝撃音が問題になっているのであれば、まず観測すべきなのは、その衝撃音の最大騒音レベルです。そのうえで、複数回発生した最大値の平均値、あるいは最大騒音レベルだけを対象とした90%レンジ上端値であるLAFmax,5などを用いて評価することになります。
この考え方は、特別なものではなく、JIS規格をはじめ、環境省や総務省などの資料でも、騒音の性状に応じて評価方法を選択する考え方が示されており、総務省では図解を用いた説明まで公開されています。
それでも実際の裁判資料を見ると、衝撃音をLAeqで評価し、そのLAeqを環境基準と比較し、さらにその結果から受忍限度まで結論づける、といった具合に、本来は別々に考えなければならない話が一つにつながっていることがあります。
これはほんの一例です。
騒音に係る裁判では、このように「使っている数値自体は間違っていない。しかし、その数値を使う場所が違う」という議論がたびたび行われています。
そして、それらの多くは、環境省や総務省の資料、騒音に係るJIS規格などを正しく読み解けば整理できる内容です。
であるにもかかわらず、このような議論が実際に行われている状況を見るたびに、騒音に係る裁判の難しさを痛感させられます。
2.受忍限度の考え方について
騒音問題では受忍限度という言葉がよくつかわれています。私もお客様から「受忍限度はどの程度ですか?」とか、「この音が受忍限度を超えていることを証明してほしい」などの問い合わせをいただくことがあります。
しかしながら、騒音の受忍限度とは、裁判の過程でその音の大きさや発生頻度、主な発生時間帯、継続性、地域性、生活環境などを含めて総合判断されるものです。騒音測定はその判断の材料となる情報の一つとして、騒音の大きさや発生頻度、発生時間帯などを調査する事です。なので私たち測定業者は、騒音被害の状況を、計量法に準拠した適切な方法で、公平に測定・記録することを目的としています。
つまり、私たち測定業者は、判断材料となる正しい情報を集める立場にあるのであり、受忍限度を決める立場にはありません。
ただ、裁判の過程で、私たち測定業者の情報が、適切に判断されない場合があるのは、第1章でも説明した通りですが、受忍限度の評価の過程で、環境基準などを参考とする際、間違った使われ方がされている事実がとても多いと感じています。
例えば、マンション内で隣室や上階からの衝撃音が 50dB 、その地域の昼間の環境基準が 60dB だったとします。これを単純に比較し、50dB は環境基準以下である。という主張です。
ここには2つの大きな誤りがあります。
一つは、環境基準は屋外の騒音に対する基準であり、室内の騒音基準値ではありません。これは環境基準内において明記されており、環境基準の評価は「建物の騒音の影響を受けやすい面における騒音レベル」と明記されています。また、環境基準の中で室内騒音については別途基準が定められており、「個別の住居等において騒音の影響を受けやすい面の窓を主として閉めた生活が営まれていると認められるときは、屋内へ透過する騒音に係る基準(昼間にあっては45dB 以下、夜間にあっては40dB 以下)によることができる。」としています。つまり、環境基準の基準値を室内の騒音レベルと比較するのであれば、少なくとも、昼間45dB以下、夜間40dB以下と比較するべきです。
二つ目は、環境基準は昼間は6時~22時、夜間は22時~6時までの時間を通した等価騒音レベル(LAeq)で評価することが原則であり、一部の時間を切り取った値や、衝撃音の最大値で評価するものではありません。
つまり、上階や隣室で発生する足音や物音などの衝撃音が問題になっている場合、環境基準と比較して音の有無を評価するのは間違っているし、受忍限度を議論するための参考とする場合であっても、屋外の基準を見るのではなく、少なくとも、室内の基準である昼間45dB以下、夜間40dB以下と比較するべきです。
また、もし、室内の騒音基準として参考とするのであれば、各都道府県の条例や指針などを調べ、その基準を採用すべきであると思います。
例えば、川崎市では「生活騒音対策に関する指針値」として、生活環境で発生する様々な音「家庭用機器・音響機器、その他(自動車のアイドリング・足音は飛び跳ね音、ドアの開閉音)」などに対する指針値を設けています。特に集合住宅の上階で発生する足音などの床衝撃音については、時間帯ごとに45dB~35dBまでの指針値を設け、測定方法も最大値の90%レンジの上端値(LAFmax,5)として明確に定めています。
川崎市のような明確な指標がある場合は少ないと思いますが、地域が異なっても参考とするには筋の通った資料だと思いますので、受忍限度を議論する場合は、川崎市の資料などを用いることのほうが、環境基準を持ち出すより筋が通っていると考えます。
3.低周波音が理解されない理由
低周波音には、環境基準や騒音規制法・条例のような基準値がありません。
しかし、昨今は低周波音が社会問題になったこともあり、環境省では低周波音に対する「物的苦情に関する参照値」と「心身に係る苦情に関する参照値」を示し、測定方法や対応方法、対応事例集など、様々な情報を公開しています。
低周波音が原因として考えられる苦情では、胸の圧迫感・頭痛・吐き気・イライラ・睡眠妨害などがありますが、環境省が定めた方法で測定し、その結果が「心身に係る苦情に関する参照値」を上回れば、その苦情の原因が低周波音である可能性が高いとしています。
この参照値は 10Hz~80Hz までの周波数帯域で評価しますが、その評価では、騒音レベルではなく、音圧レベルを用います。さらにはこれを 1/3オクターブバンド分析したうえで、参照値と比較することになります。
このように、低周波音を議論する場合、1/3オクターブバンド分析、周波数、音圧レベルなど、通常の騒音レベルとは異なる用語が多く用いられることになり、これらを理解する必要が出てきます。
ですが、裁判の現場では、これらが適切に理解されているとは思えないことがたびたび起こります。
ある案件では、資料の説明を求められて 80Hz で参照値を上回っている。と説明したところ、なぜか低周波音が80Hzである、と勘違いされて話が進められていたことがありました。 Hz (ヘルツ)とは周波数であって、上回っているのは dB (デシベル)です。
また、足音や物音などの衝撃音に伴い発生する低周波音に対し、一定時間で観察した低周波音を、参照値と比較することもなく、特定の周波数帯域のレベルの大きさだけをもって、低周波音が問題ないなどと評価されている事さえあります。
低周波音については、苦情の内容が低周波音である可能性を、参照値と比較して考えるものです。たとえば、その音でイライラ・集中できない・胸の圧迫感がある・吐き気がする・睡眠の妨害になって寝付けない、といった苦情があった場合、騒音レベルだけではなく、低周波音の可能性があるか否かを見るための指標として用いられます。
環境省では、このような低周波音の性質を踏まえ、対応事例集などの資料を公開しています。これらを見ると、騒音レベルが低くて評価されない場合であっても、原因が低周波音であった場合は、その原因に対策を講じることで、苦情がなくなる、などの事例が多く掲載されています。
つまり、「心身に係る苦情に関する参照値」を上回る低周波音があった場合、原告の訴えている苦情は低周波音である可能性が高いということであり、これを、HzとdBを取り間違えるような議論において、「被害は存在しない」などとするのは、環境省や総務省の意図を理解していない考え方で、決して適切な対応ではないと考えます。
4.裁判の現場で起きている事
もちろん、すべての案件がこのような状況だとは思いません。
しかし、私がこれまで対応してきた案件では、ここまで説明してきたような、騒音の評価方法や基準値の意味が正しく理解されないまま議論が進んでいる場面に、たびたび遭遇してきました。
なぜこのような間違いが起こり、それが当たり前のように議論されてしまうのかは、私にもわかりません。
裁判や調停では、事実関係を正しく整理したうえで、適切な判断や解決がなされるべきものだと思います。
裁判において、何を争点とし、どのような主張を組み立てるのかは弁護士の判断によるところが大きく、そこに私たち測定業者が外から口を出すべきではないとも考えています。
しかし、その議論の前提となっている騒音の評価方法や基準値の使い方そのものが間違っているのであれば、話は別です。
誤った評価方法や誤った基準の解釈を前提として議論が進み、そのことに誰も気づかないまま、「受忍限度以下である」「騒音と呼べるものは存在しない」といった判断につながってしまうのであれば、それは騒音の専門家として見過ごすことのできない問題だと考えています。
5.環境計量士としての説明責任
では、私たち測定業者は、このような状況にどう対応すればよいのでしょうか。
実のところ、私たちが裁判そのものの進め方や、法的な主張の組み立てに直接関与することはありません。
それは、裁判の仕組みや担当する弁護士の考え方によって、何を争点とし、どのような方向から主張を組み立てるのかが異なるからです。騒音問題がきっかけとなった裁判であっても、必ずしも騒音の大きさそのものだけを争点として進めるとは限りません。
そのため、私たち測定業者が「このように裁判を進めるべきだ」と意見する立場にはありません。
一方で、弁護士に説明を求められたり、裁判の内容について意見書や技術説明書の作成を求められれば、それに対応する責任はあると感じています。
弊所で対応していた案件の例を挙げると、準備書面や相手方測定業者の報告書の確認及び、これに対する言及・助言などの技術的支援や、これに対する意見書や技術説明書の作成など、案件ごとに多岐に及びます。
弁護士は法律の専門家ではありますが、専門的な分野では支援が必要になることもあります。また、認識不足や勘違いなどから、間違った指標や基準で評価してしまうこともあります。
そういった場合に、それを見抜き、指摘できるのは、その分野の専門家であり、騒音の場合は、騒音に係る環境計量士であると考えています。
6.さいごに
今回は、騒音に係る裁判という、とてもセンシティブな内容にフォーカスしてみました。
騒音に係る裁判では、おかしな議論がされることがあるという話は、以前から聞いていました。しかし、実際にそのような場面を目の当たりにすると、本当にこのようなことが行われているのかと驚くことがあります。
私たち現場の技術者にとっては、測定されたデータが事実であり、そのデータをどのような方法で測定し、どのような指標で評価するのかについては、JIS規格や行政が定めた方法などに従って考えることが基本になります。
一方で、弁護士が扱う法律は、様々な事情や状況を踏まえながら判断されるものです。
法律の考え方を私たち技術者が簡単には理解できないのと同じように、技術者が当然のものとして考えている「測定方法や評価方法によって数値の意味が決まる」という考え方も、法律の世界とは少し異なるのかもしれません。
その違いがあるからこそ、騒音に係る裁判では、私たち技術者から見ると不思議に思える議論が行われているのかな、と感じています。
だからこそ、騒音測定を行うのであれば、裁判・調停の場でも信頼性の高い、都道府県知事の登録を受けた計量証明事業所による測定が望ましいと考えます。
また、測定を依頼する際には、測定結果の提出だけでなく、裁判や調停の過程で説明を求められた場合に、どこまで対応してもらえるのかについても、あらかじめ確認しておくことをお勧めします。
これから騒音測定をお考えの方にも、また、過去に騒音に係る裁判を経験したことのある方にとっても、このコラムが少しでも参考になるものであればと思います。